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2020年7月18日 (土)

記録のふりかえり

議事録やアーカイブは、なるべく正確でないといけないのは、権力者によって都合よく書き換えられた歴史があるから。

ところで、あいちトリエンナーレ、表現の不自由展再開の以下の記事を読み比べると、どのような印象を受けますか?

ARTiT 2019年9月9日のあなたへ の田中巧起さんの文章

再開の一番の理由は、不自由展実行委員会が仮処分申請を裁判所に出していたことだからだ。あとはいくつかの要素がパズルのように組み合わさって物事が進むんだけれども(これについても次の手紙で詳しく書く)。もちろんReFreedom_Aichiという運動体自体は一定の力をもったかもしれないし、それぞれのプロジェクトには個別の意義があったかもしれない。でも全体としては表面的なパフォーマンスに終始しているようにしか見えなかった。ただ、再開に向けた立役者は藤井光さんと小泉明郎さんだから(それ以外にどんな動きがあったのかぼくが知らないだけだとも思うけど)、彼らもReFreedom_Aichiの一員であるという意味において、ReFreedom_Aichiも再開に絡んでいたといちおうは言えるかもしれない。

ハガジンから引用 村山悟郎さんへのインタビュー記事

村山 再開の内定を僕らが知るような機会はなかったですよ。再開を目指して具体的に協議に入りたいと知事が表明したのが9月25日でしたね。ただその10日前に不自由展実行委員会が芸術祭実行委員会を相手に仮処分申請、つまり法的措置に出ていた。これによって一時期はかなり再開が不透明な状況になってました。

(中略) 

HZ なるほど。それまで津田芸術監督、アーティストたちが、非公式な形で再開に向けての調整をしていた一方、不自由展実行委員会はそれとは異なるロジックで動いてしまった、と。ただ、その後、展示は実際に再開されることになります。不自由展実行委員と芸術祭運営側はどのように折り合いをつけたのでしょう。

村山 どうなんでしょうね。ギリギリの交渉で、不自由展と知事が最終的にどういう判断をしたのか、ぶっちゃけよく分かりません。ただ一つ申し添えるとすれば、あのタイミングで、アーティストの介在もあったんです。それは藤井光さんのボイコットです。不自由展実行委員が法的措置に出て、状況が見えなくなった9月22日のタイミングです。そのさい藤井さんは、10月5日を期限にして、不自由展と芸術祭が和解協議で合意しなかったら、ボイコットアーティストたちは永久に展示を再開しないという交渉も同時に行っていました。タニア・ブルゲラをはじめ、ボイコットアーティストたちは、不自由展が再開するなら自分たちも再開すると言ってきたわけです。それに期限を切って、藤井さんも加わった。不自由展と近い立場で交渉の橋渡しをしてきた藤井さんが、不自由展側にもプレッシャーをかける形になりました。

つまり、和解協議をずるずる引き伸ばしてでも、理想的な形でオープンしさえすれば良い、ということではなく、5日までに再開せよ、と明確にした。これにより、不自由展実行委員も自分たちの闘争を続けてゆけば、芸術祭全体を壊すことになってしまう。そういう状況になった。

ARTiT 再び2019年9月9日のあなたへ 田中巧起さんの文章

再開のための強力な一手は不自由展実行委員会による仮処分申請だったと思う。これが再開を決定できる大村知事へのプレッシャーになったはず。なぜなら、藤井さんが言っていたように、大村知事から裁判所にその決定権が移ってしまうわけだから。知事自身が再開したというストーリーを作るためには、裁判所命令が出る前に決定しなければならない。しかし、文化庁補助金不交付というより大きな問題が出てきたことで、両者は歩み寄り、和解する。その後、多少もつれるにしてもなんとか不自由展は再開にこぎ着け、ぼくも含めたボイコット組のアーティストたちも同時に展示を再開する。観客には、きっとそれはハッピーエンドに見えたと思う。

その意味では、ReFreedom_Aichiが行った抗議署名に10万人以上が賛同したことは希望でもあると思う。ただ残念なことに、この署名は2020年5月現在、まだ文化庁には手渡せていない。

201912_20200712141701

これは、同じく不自由展が再開した頃を記録した「創」の記事。

「フェルナー」「シュライト」「アンスバッハ」など仮名になっているところは、田中功起さんの文章に出てくる人です。実際に見たわけではないけど、おそらく間に立って心を砕いて説得したりしたのでしょう。

不自由展実行委員が仮処分申請をして 審尋前に不自由展側の要求に(ある部分は双方妥協して)応じて再開が決定したはずですが、同じことを見て書いても印象が変わるというか。

 

私はReFreedom_Aichiに対して良いことだから参加して当然というような高圧的なものを感じ、パフォーマンスに見えてしまっていたのだけど、この活動には、「あいち宣言・プロトコル」という行政と関わりながら愛知での現代美術の基盤づくりという目的があったと思います。

そこが不自由展との大きな違いかなと思います。

再び田中巧起さんの文章の引用

9月19日、「あいち宣言・プロトコル」のことで村山悟郎くんと話す。ぼくは観客の見る権利についての項目に違和感があった。それについては前々回の手紙で書いている。
また「芸術の自由」を守ると宣言するその主語は、最初「愛知県」、最終版ではあいちトリエンナーレ実行委員会会長である大村知事を想定している。しかしぼくはそれでいいのだろうか、と思っている。「芸術の自由」という、もっともアーティストが大切にすべきことを、行政の庇護の元に宣言するということは何を意味するのだろうか。宣言させることによって、その中で語られている自由が、行政機関によって実際的には守られるのかもしれない。それは逆に言えば、その自由が行政によって認められたり、認められなかったりすることを受け入れることでもあると思う。自由についての判断を明け渡すことように見えてしまうこと、つまり理念をとるか、実効性をとるか、ぼくには判断がつかない。

難しく判断つきませんが、安田はあいちトリエンナーレ会期中は知事を支持していました。

行政の長に理解がある人は必要だし、日本全国がそうであって欲しい。

ただし、あいちトリエンナーレの脅迫は、右派政治団体か政党あるいは賛同者の可能性が大きいので、

政争の面も大きいと思います。つまり状況は流動する可能性がある。

そういうものの「下」にアーティストの発想及びアート作品が委ねられてしまうのは危険ではありますね。

 

ただ、あと一つ気になっているのは、「誰がこれを治めたか」という張り合いになっているように見えること。

もちろん私にだって「私がやってやった!」と言いたい気持ちはありますが。

田中功起さんの文章から引用

あいトリの問題はレイシズムをどう解体し、ナショナリズムをどのように再考するのかをめぐるものになるはずだったと前回書いた。それが文化庁の補助金不交付を期に「表現の自由」をめぐる戦いへと発展していった。「表現の自由」ももちろん大切。コロナ禍において集会の自由も移動の自由も強く制限されている中、もう一度それは考えられるべきだと思う。でも、あいトリ全体を通しては、いつの間にか前者の問題は脇に追いやられてしまったと思う。

 

本来はここ10年ぐらいで増えた「差別的な言説」で「票」つまり「国民の賛同」が得られるという現象への危機感だったのでは?

と、思うのだけど。

差別的な言説=ヘイトスピーチは絶対にだめだし、殺人や犯罪に繋がる表現は自由なのか(つまり表現の暴力)私はそこは一考に値すると思うけど、表現の自由は大事で、「自粛」なんぞしてはいけないと思います。

 

 

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